愛しすぎると、愛は重くなる。
相手も同様の重みで自分を愛してくれるとは限らない。
自分にとっては真剣な想いでも、相手が重過ぎると感じる愛は、
暑苦しく、持て余しがちな、迷惑な愛となってしまう。
だから愛しすぎはよくないのかもしれない。
よく言うではないですか、
ほどほどが良い。
中庸を心がけよ。
だが私は誰かを好きになると、好きで好きで堪らなくなってしまう。
相手の迷惑にならないようにと行動しつつ、
自分の燃えたぎるような愛も尊重しようとする。
愛とは、その体重において、平素は身軽であるべきだ。
いざ、ここぞの時に、ずんと重くなればよい。
普段から重い愛は邪魔だ。
手で払いのけたくなる。
難しいのが、重さの感じ方が相対的でしかも変化することだ。
自分にはなんともない愛し方が、実は相手にとっては負担
かもしれない。
もしくは、重くなることを恐れてほどほどに接していると、
「物足りない」と宣告されるかもしれないが、
それならばと次回はもっと力強く愛したら、
「今日はそんな気分じゃない」と拒否されるかもしれない。
体重の掛け具合が難しいのだ。
どこまで踏み込んで愛せば、愛は重くなるのか、その境界が不明瞭で。
私の出した結論は、
不断のコミュニケーション。
愛が重くないかどうか、常に相手に訊ねるのである。
恋愛巧者に言わせればそれは愚かな行為だろう。
言葉に出さずして、それとなく悟ってしまうのが、
本当の愛なのだ、と。
しかし私は不器用だし、
何も訊ねず愛が重くなり過ぎた結果、その愛を失ってしまうことが怖い。